スロット依存から抜け出すために必要だったのは、意志の強さでも、医者の診断でもありませんでした。
自分の場合、それを変えたのは「筋トレ」でした。
「行かない」と我慢するのではなく、「別の行動に置き換える」。
少しずつ、少しずつ、脳を“書き換える”ように生き方を変えていきました。
ギャンブル脳を変えたのは「我慢」ではなく「置き換え」だった
「もう二度と行かない」とは言わなかった
自分がギャンブルをやめられたきっかけを聞かれると、よく驚かれます。
「病院に行ったの?」「依存症のグループとか?」とか聞かれますが、そういったサポートは一切受けていません。
ただ一つ意識していたのは、“引退宣言をしない”ことでした。
「もう二度と行かない」と言ってしまうと、その言葉に自分が縛られる。
そして、1回でも行った瞬間に「またダメだった」と自分を責めてしまう。
それが怖かった。だから、自分はこう決めました。
「行きたくなったら、その都度“行かない”を選ぶ」。
たったそれだけのシンプルなルールです。
依存は、1回の選択で治るものではありません。
“行かない選択”を一回ずつ積み重ねていくこと。
それを続けることでしか、脳は変わっていかないと実感しました。
だからこそ「やめる」ではなく、「行かないを続ける」と考えるようにしました。
筋トレを始めたのは、ただ“暇つぶし”だった
最初は、本当に軽い気持ちでした。
いつもだったら打ちに行く時間をどう潰そうかと考えたときに、
「筋トレでもやってみるか」と思ったのがきっかけです。
最初は腕立て10回で腕がパンパン。あれ?昔はもっと出来たのに!と。
でも不思議と、「やった感」が残りました。
次の日も、また少しだけ。
やっているうちに、体が変わってくる感覚が出てきて、
YouTubeで「もっと効率的にトレーニングする方法ないかな?」と調べ始めていました。
スロットでの一瞬の快感とは違う、“じわじわくる達成感”でした。
筋トレの後、プロテインを飲みながらYouTubeで今度は「お金の勉強動画」を見るようになりました。
最初は暇つぶし。でもだんだん、「お金を増やす仕組み」を理解していくうちに、
“ギャンブルで稼ぐ”よりも“お金に働かせる”ことの方が、ずっと現実的だと気づきました。
情報の“ノイズ”を断ったら、脳が静かになった
筋トレを習慣化するのと同時に、自分の中で決めたことがあります。
それは、「SNSを止める」「ニュースを見ない」ということ。
理由はシンプルで、余計な情報が多すぎたからです。
SNSを見れば、他人のキラキラした日常が流れてくる。
ニュースを見れば、不安を煽るような話題が飛び交う。
気づけば、自分の頭の中が“外の情報”で埋め尽くされていました。
そんな状態で「自分を変える」なんて無理なんです。
SNSを止め、ニュースを見なくなったことで、
頭の中が驚くほど静かになりました。
空いた時間で筋トレをし、読書をし、投資の勉強をする。
それだけで1日の充実度がまるで違った。
そして、“スロットのことを考える時間”が自然と減っていったんです。
「我慢」ではなく「置き換え」で脳を再教育する
ギャンブル依存を“我慢”で乗り越えようとすると、
必ずどこかで反動がきます。
「もう行かない」と思えば思うほど、脳がそれを意識してしまう。
だから自分は、「我慢」ではなく「置き換え」を意識しました。
打ちに行きたくなったら、軽く近所を走る。
お金を使いたくなったら、プロテインを買う。
高設定を探す代わりに、投資銘柄を調べる。
行動を一つずつ“置き換える”ことで、脳の報酬回路を上書きする。
そうやって、少しずつ自分の中の“ドーパミンの出し方”を変えていきました。
最初は違和感だらけでしたが、
続けているうちに「筋トレ後のスッキリ感」や「積立残高が増えていく感覚」に快感を覚えるようになった。
これが、ギャンブルを止められた最大の理由だったと思います。
気づいた瞬間、「誰もいなくなっていた」
久しぶりにホールへ行ったとき、驚いた。
あの頃、いつも隣にいた仲間たちが、誰一人いなかった。
「最近どうしてるんだろうな」――そう思っても、連絡先すらもう分からない。
それでも、あの開店前の雑談の温度、並んでいたときの期待感、空気の匂いまではっきり覚えている。
結局、自分が一番好きだったのは「当たる瞬間」ではなく、「期待している時間」だったのだと思う。
明日の台選びを考えながらネットでデータを漁り、前日の閉店チェックをして、寝る前までそのことで頭がいっぱいになる。
そして翌朝、眠い目をこすりながら並び、友人たちと「今日はここでしょ」と笑って話す――。
その「ワクワク」に取り憑かれていたのだ。
「勝ちたい」より「感じたい」だった
当時の自分を振り返ると、「勝ちたい」と言いながらも、本音は違っていた。
自分は「感じたい」だけだったのだ。
勝てばもちろん嬉しい。けれど、実際は勝っても一時の快感で、次の日にはまたホールに向かっていた。
「次も勝てるかもしれない」という、あの高揚感を味わいたくて。
つまり、お金ではなくドーパミンを求めて通っていた。
今振り返ると、パチスロとは「感情を上下させる装置」そのものだった。
当たるか、ハマるか、出るか、飲まれるか。
そんな変化の連続に、自分の心が依存していたのだ。
スロットがつまらなくなって気づいたこと
5号機の時代に入りどんどん規制が強まり、出玉は地味に、演出だけ無駄に派手になっていった。
周りの仲間も「もう勝てない」と次々に離れていった。
自分も同じように、楽しめなくなっていた。
ホールに行っても、かつての熱気はなく、みんな無言でスマホを見ながら回している。
音と光はあるのに、どこか寂しい空間になっていた。
ふと、リールを眺めながら思った。
「あれ?俺、何してるんだろう」
気づけば、休日をまるごとホールで潰し、疲れだけが残っていた。
財布も心もすり減って、得たものは何もない。
ようやく、その事実から逃げるのをやめた瞬間だった。
倒産、失業。そして「自分」と向き合う
そんな中で、自分の勤めていた会社が突然倒産した。
仕事も、日常も、一瞬で崩れた。
それでも不思議と、心のどこかで「これでようやく変われるかもしれない」と思った。
ギャンブルに依存していた頃は、ストレスを外に逃がすことでしか生きられなかった。
けれど今は、「内側を整える」方向に変わった。
筋トレをして、走って、汗をかく。
S&P500に積み立てて、自分の未来にお金を働かせる。
勝ち負けではなく、積み上げる感覚。
あの頃の「ドキドキ」は、もう違う形で感じられるようになった。
「刺激」ではなく「成長」で満たす日々へ
ギャンブルがくれるのは一瞬の刺激。
けれど投資やトレーニングは、静かな成長をくれる。
毎月の積立が少しずつ増えていくグラフを見ると、自分の時間が形になっていく感覚がある。
そして今は、「待つ時間」こそが好きになった。
資産額を見ながら「この下げも、いずれ上がるだろう」と思える。
昔の自分なら考えられなかった。
お金の増減よりも、自分をコントロールできている実感の方が嬉しい。
かつてはスロットで「自分を失って」いたのに、今は投資を通して「自分を取り戻している」。
まとめ:あの頃の自分に伝えたいこと
もし当時の自分に一言伝えられるなら、こう言いたい。
「お前が求めていたのは“快感”じゃなくて、“安心感”だったんだ」と。
パチスロの音や光の中で感じていた高揚感は、ほんの一瞬の幻だった。
でも、そこから学んだことは確かにあった。
それは、「人は誰でも刺激より安定を求めている」ということ。
今、自分は毎月の積立を見ながら「少しずつ進んでいる」と実感できる。
それが、かつてホールで感じていた「期待感」にどこか似ている。
ただ違うのは、その期待の矢印が“未来の自分”に向いているということだ。
あの頃の自分も、きっとどこかで「変わりたい」と思っていたはず。
そして今、ようやくその気持ちに素直になれた。
もしこの記事を読んで、「あの頃の自分」と少しでも重なる部分があったなら、
焦らず、無理せず、自分のペースで向き合えばいいと思う。
自分も、何度も同じことを繰り返しながら、ようやく少しずつ変われた。
ほんの少し立ち止まって、「自分は何を感じたくてこれをしているんだろう」と考えてみるだけでも、
心の中に小さな変化が生まれる。
自分の場合、その小さな気づきが、次の一歩につながっていった。
だからこそ、今もし迷っているなら、責めずにゆっくりでいい。
その“気づこうとする時間”こそが、きっとあなたの未来を少しずつ変えていく。