ギャンブルをやめても“暇”が怖い人へ|脳の仕組みを知れば抜け出せる
ギャンブルをやめた瞬間に押し寄せる“暇のこわさ”。
自分もかつて、打ちに行かない日があるだけで、人生が色あせたような妙な喪失感に襲われていました。
でも今は、あれは脳がギャンブルへ戻すために見せる“幻”だと感じています。
暇とどう向き合い、どう置き換えるか──経験者として伝えられることを書いていきます。
ギャンブルをやめた瞬間にやってくる“暇のこわさ”の正体
ギャンブルをやめた人がまずつまずくのは、禁断症状でも、金銭問題でもなく、
「暇」だと自分は感じています。
とくにスロット依存だった頃、自分は「暇=不安」のような状態になり、
何も予定がない日が逆にストレスでした。
なぜなら、ギャンブルをしていた頃の自分は、
“暇さえあればホールに行く”という行動パターンが脳に深く刻まれていたからです。
例えば仕事が早く終わると、無意識にホールへ向かい、
夕方のジャグラーのペカりに期待しながら座る。
その一連の流れが、もはや「日常」でした。
だからギャンブルをやめると、
突然その“日常”がごそっと抜け落ちて、
「何をしていいかわからない」という強烈な空白ができる。
この空白こそが、ギャンブルをやめようとしている人を最も苦しめる部分だと思います。
なぜ“暇”が最大の敵なのか──脳の仕組みを理解する
ギャンブル依存の厄介さは、
行動よりも「脳の回路」にあります。
脳は、過去に強烈な快感(ドーパミン)を得た行動を、
「繰り返せ」「維持せよ」と強く記憶します。
自分の場合も、
北斗揃い、吉宗の1G連、大花火のリール回転時の間延び音…。
そういう「強烈な報酬体験」が脳に深く刻まれていて、
暇になるとその回路が勝手に発火する感覚でした。
でもこれは意思の弱さではなく、
脳が“省エネで生きよう”としているだけなんですよね。
人間の脳は、使い慣れた行動パターンを続けることで、
エネルギーを節約しようとします。
その結果、
暇=ギャンブルへ戻れ
というシグナルになってしまう。
だから、自分は
「暇を埋める」よりも
暇の意味を“再定義”することが大切だと考えています。
最初の数カ月は「損したような感覚」が襲ってくる
ギャンブルをやめて最初の1〜3カ月は、
本当に奇妙な感覚がありました。
自分はその時期のことをはっきり覚えています。
・今日は行けば勝てたかもしれない
・なんか人生が味気ない
・週末なのに全然楽しくない
・損した気がする
でも今振り返ると、この感覚は
「脳が自分をホールへ戻すために見せている錯覚」
だと感じています。
脳は“変化”を嫌うので、
いつもの流れを崩されると強く抵抗します。
少しでも気持ちが揺れたら、
「今行かないともったいないぞ」とか、
「今日は旧イベだし設定入ってるかも」とか、
あたかも人生の一大チャンスを逃しているような錯覚を見せてくる。
でもこれは、本当にただの脳のトリックなんですよね。
ギャンブルをやめた今ならそう思えます。
大丈夫──この違和感は“最初の数カ月だけ”
一番伝えたいのはここです。
あの違和感・虚無感・焦燥感は永遠に続くわけではありません。
自分もかつては、
「このまま一生つまらない人生なのでは?」
と本気で思っていました。
でも、その感覚は長くても数カ月で自然と弱まっていきます。
脳が新しい生活リズムに慣れ、
「ギャンブルがデフォルトの行動ではない」
と理解し始めるからです。
例えば、自分は今、
・筋トレ
・ランニング
・インデックス投資
・本を読む
・YouTubeで面白い教養を見る
これらでドーパミンが出ています。
しかもギャンブルより遙かに安定して健康的で、生活も豊かになる。
最初は強敵だった“暇”が、
今ではむしろありがたい時間に変わっています。
ギャンブラーは“他の楽しみ方を知らない”だけかもしれない
自分自身の経験から感じたことですが、
ギャンブルにハマりやすい人は、
そもそも「他の趣味を知らない」人が多いと考えています。
自分もそうでした。
大学中退後、特別な趣味もなく、
気づけばスロットが生活の中心になっていた。
北斗のバトルボーナスが継続するか、初当たりは軽いのかで一喜一憂し、
GOD凱旋やハーデスの液晶パオンに心臓をえぐられるような快感を求めていた。
でも今思えば、
「スロット以外の楽しみを知らなかっただけ」
という側面が大きかったと感じています。
筋トレで汗を流したり、
ランニングで呼吸が整ってくる感覚を味わったり、
本を読んで世界が広がる感覚を知ったり…。
それらはすべて、
ギャンブルとは別種類の“静かなドーパミン”でした。
ギャンブルの快感は派手で一瞬ですが、
静かなドーパミンはじわじわと生活を変えてくれます。
そして気づけば、
「暇=不安」ではなく
「暇=自分を整える時間」へと変わっていきました。
暇を“埋める”のではなく、“置き換える”
ギャンブルをやめた直後、
暇を“埋めよう”とがんばりすぎると逆効果になると、
自分は経験上感じています。
暇を埋めようとすると、
「ギャンブルに比べて楽しくない…」
「結局つまらない…」
という“比較”が生まれてしまうからです。
自分が効果的だと感じたのは、
暇を“置き換える”という考え方でした。
例えば自分の場合:
- ホールへ行く準備をしていた時間 → ランニング20分に置き換える
- スロット動画を見ていた時間 → 投資やお金の知識を本やYouTubeで学ぶ時間に置き換える
- 無駄にスマホを触る時間 → 筋トレ時間に置き換える
こうすると、
「比較」ではなく「変化」になるので、
脳の抵抗も少なかったと感じています。
そして数週間もすると、
走った後の爽快感や、
本を読み終えた後の充実感や気づきが、
ギャンブルの代わりに自然と報酬になっていきました。
脳が慣れると、“暇の質”が変わる
ギャンブルをやめて数カ月が過ぎると、
明確に変わるポイントがあります。
それは“暇の質”が変わることです。
ギャンブル依存の頃の暇は、
・何かしなきゃ
・ホール行った方が良い?
・このままじゃ損してる?
という「落ち着かなさ」がありました。
でも脳が新しい生活パターンに慣れると、
同じ“暇”でもこうなるんです。
・ちょっと散歩でもするか
・今日は筋トレメニューを少し変えようか
・積立投資の評価額でも確認するか
これは本当に、自分でも驚くほど自然に変わっていきました。
脳が、新しい行動パターンを「デフォルト」として採用し始めるからです。
ギャンブル以外の“静かな快感”を育てる
自分が強く感じていることがあります。
それは、
ギャンブルの代わりになる「静かな快感」を持てると人生が変わる
ということです。
例えば、自分の場合は:
- 筋トレ新たなメニューを追加してやり切ったときの達成感
- ランニングで走り切った時の感覚
- 積立投資評価額が淡々と増えていく満足感
- 新たな本の要点を理解し、自分に落とし込んだ時に気づくことの素晴らしさ
これらはギャンブルのような派手な快感ではなく、
生活の“質”を底上げしてくれる快感でした。
こういう静かな快感を少しずつ積み上げると、
ギャンブルの刺激が
「なくても平気」
「むしろ要らない」
という感覚に変わっていきます。
まとめ
ギャンブルをやめた後の“暇のこわさ”は、
自分も強烈に感じていたので、痛いほどよく分かります。
でも今思うのは、
あれは脳が変化を嫌がっているだけということです。
・暇がつらいのはごく自然な反応
・最初の数カ月は違和感が出るのも当たり前
・その違和感は必ず弱まっていく
・脳が新しい生活パターンを覚えれば“暇の質”は変わる
・ギャンブル以外の静かな快感を育てることがポイント
自分も、ギャンブル以外の楽しみを何ひとつ知らなかった人間でした。
でも今は、筋トレやランニング、投資、本を読むなど、
静かだけど豊かな快感を日常で得られています。
もし今あなたが“暇が怖い”と感じているのなら、
それはあなたが悪いのではなく、
ただ脳が過去のパターンにしがみついているだけです。
そしてその状態は、
必ず変わっていきます。
焦らず、少しずつ、暇の意味を“置き換えて”いけば大丈夫です。
たとえ我慢できずにパチ屋に行ってしまったとしても、次の日からやり直せば全然OKだと思います。