ギャンブルをやめて得た最大の報酬は「時間」だった

ギャンブル依存→投資家へ転生

ギャンブル中心に生きていた頃の「興奮」と「空白」

「今日は勝てそう。設定6ツモッたらどうしよう。」
この心のつぶやきが、かつての私の朝のルーティンだった。前日大負けしても目が覚めると頭はスッキリし体も良く動く状態。同時に頭に浮かぶのはスロットの激熱出目、その瞬間に感じるであろう脳汁、ホールの開店時間、昨日のデータ、そして「今日はイケるっしょ!」という根拠のない高揚感。

仕事が休みの日は当然のようにホールへ。狙い台に座れなくても他の良さげな台を打つ。仕事がある日も、終業後にまっすぐ帰るなんてことはまずなかった。財布には常に3~5万円の「軍資金」。
スロットが生活の中心だった。

たとえ前日に10万円負けていても、次の日にはもう気持ちはリセットされている。
「今日は勝てそう」「昨日の分を取り返せる」──この思考が中毒の正体だったと思う。
自分は案外メンタル強いのかも?なんて思っていた時期もあった。

勝てば脳が火照るように気持ちよく、負けても悔しさでアドレナリンが出る。冷静に考えれば、勝っても負けても常に興奮していた。

ギャンブルという行為自体が、私にとって“日常を感じるためのスイッチ”になっていたのだ。

「他人は面と向かって注意してくれない」ことを知った日

転機は、突然の会社倒産だった。
「給料が後2万円多くもらえたら全然違うんだけどなぁ・・」などとのほほんとしていた私。
それまでの私は、どこかで「仕事は続くもの」「生活は変わらないもの」と思い込んでいた。だが、ある朝、社長から「今月で会社を畳む」と告げられた。

その瞬間、時間が止まったようだった。給与も退職金もほとんど出ない。
職を失い、スロットに使うお金どころか、家賃や食費の心配をする現実が一気にのしかかってきた。

不思議なもので、こうなって初めて気づく。「誰も、自分の破滅にブレーキをかけてはくれない」ということに。

親も友人も、やんわりと「やめたほうがいいんじゃない?」とは言っていたが、本気で止めてくれる人はいなかった。いや、正確には「止められない」のだ。自分が変わる気がない限り、他人の言葉なんて届かない。

倒産をきっかけに、一度すべてがリセットされた。時間も、お金も、人間関係も。
残ったのは「自分」と「現実」だけだった。

「時間」という最大のリターン

ギャンブルをやめて最初に訪れたのは、「空白」だった。
今までの休日は朝から晩までホールにいた。打たない日など考えたこともなかった。だから、やめた最初の週末は本当に何をしていいかわからなかった。

部屋の時計の針がやけに遅く感じる。SNSを開いても、ホールの情報がタイムラインに流れてくる。
禁断症状というより、人生の“主軸”が抜け落ちたような虚無感。
もし打ちに行っていたら、出る台に座って勝ってたんじゃないかという焦り。当時を振り返ると今でもキツい。

それでも、「時間がある」という感覚は少しずつ心に沁みていった。
昼間に外を歩くと、青空が眩しかった。思いつきでランニングをして汗をかくと、頭がスッキリした。
ふと、「ああ、自分はこんな時間を忘れていたんだな」と思った。

ギャンブルをしていた頃の時間は、たしかに“濃い”ものだった。重要な場面でのレバーを叩く瞬間、ボーナスを引いたと確信した瞬間のドーパミン。
だが、今は別の意味で濃い。
自分の体を動かし、将来に投資し、静かな幸福を感じる時間。
それが、ギャンブルをやめて手に入れた「最大の報酬」だった。

小さな行動が、未来を少しずつ変えていく

生活を変えようと思ったとき、最初から完璧を目指す必要はなかった。
私も最初は「今日は打ちに行かないでみよう」から始めた。
一日、二日、三日と、ギャンブルに使わない時間を積み上げていくうちに、少しずつ「自由な時間」が戻ってきた。

その時間で本を読んだり、YouTubeでお金や投資の勉強をしたり。
そして気づけば「インデックスファンド」という言葉に出会い、積立投資を始めていた。

スロットで得た勝ち金はすぐに消えていたけれど、投資で得たリターンは時間をかけて積み上がる。
再現性の圧倒的違いに気づいた。
複利という“静かな魔法”が、私の時間を味方にしてくれた。

時間を取り戻して見えた「人生の目的」

時間が増えると、不思議なことに“考える余裕”が生まれる。
ギャンブルをしていた頃は、次にどの店へ行くか、どの台を打つか、前回の負けを取り返せるか──そればかりを考えていた。
だが、ギャンブルをやめて半年ほど経った頃、ふと「自分は何のために生きているのか」と考える瞬間があった。

それまでの私は「瞬間の快楽」に全力を注いでいた。勝った時の興奮、連チャン中の高揚感、周りの視線。
けれど、そうした快感は一時的で、どれだけ積み重ねても残らない。

一方、筋トレやランニングを始めてからは、少し違う種類の達成感が得られた。
体が軽くなる。呼吸が整う。食事がうまくなる。
これは、一日で完結しない“積み上げ型の喜び”だった。

そのうち、「お金」も「体」も「時間」も同じ構造なんだと気づいた。
どれも一気に得ることはできない。けれど、コツコツ積み重ねていけば、必ず形になる。

ギャンブルに明け暮れていた約10年間を振り返ると、たしかに後悔もある。
けれど、あの時代があったからこそ、今の“時間の尊さ”がわかるようになったとも思う。
過去を否定するより、糧に変える方がずっと建設的だ。

ギャンブルのドーパミンを「意図的に出す」

人は皆、ドーパミンを求めて生きている。
ギャンブルの魅力は「不確実性の中にある報酬」だ。つまり、“予測できない快感”。
この構造自体は、他の行動にも応用できると気づいた。

例えば筋トレ。今日もメニューをこなせたと感じた瞬間、ランニングを予定通りこなせたと感じた瞬間、脳内では小さなドーパミンが出る。
その積み重ねが「もっとやりたい」という原動力になる。

ブログを書くのも同じだ。
自分の言葉が誰かに届くかはわからない。だからこそ、少しずつアクセスが増えたり、コメントをもらえたりすることが嬉しい。

つまり、「不確実性 × 成長」という組み合わせが、ギャンブル以外でも“脳の報酬回路”を満たす鍵なのだ。
私はそれを知ってから、意識的に「健全なドーパミン」を出す生活に切り替えた。

ギャンブルで得ていた瞬間的な刺激を、今では“積み重ねの快感”に置き換えている。
この変化こそ、私の人生を根本から変えた要因だと思う。

「自然体で続ける」ことの大切さ

ギャンブルをやめると決めた当初、私はストイックに「絶対に打たない」と自分に誓った。
だが、完璧を求めすぎると、かえって反動がくる。
だから途中からは、「まあ、今日も打たなかったな」くらいの軽い気持ちに切り替えた。

不思議とこの“自然体”の姿勢が続くコツになった。
同じように、投資も筋トレも「やらなきゃ」ではなく「やりたい」に変わる瞬間がくる。
それを感じられるようになってから、毎日が穏やかに充実している。

そして何より、時間の使い方が変わった。
無駄な焦りが減り、1日が長く感じる。
朝のコーヒーをゆっくり飲むだけでも、小さな幸せを噛みしめられるようになった。

まとめ:時間は「お金よりも価値がある資産」

ギャンブルをやめて得た最大の報酬は、やはり「時間」だった。
お金も大切だが、時間は取り戻せない。

その時間をどう使うかで、人生の質は決まる。
スロットに費やしていた頃は、1日の大半を“運任せ”にしていた。
今は、自分でコントロールできる範囲に時間を使っている。
それが心の安定を生む。

時間を味方につけることは、投資にも通じる。
焦らず、諦めず、少しずつ。
今日の選択が、未来の自分をつくっていく。

もし今、ギャンブルや浪費に時間を取られている人がいるなら、焦らなくていい。
「少しだけ、別のことをしてみる」──それで十分だ。
やがてその小さな一歩が、あなたの人生を根本から変えるきっかけになる。

時間は、最も強力で、最もやさしい味方だ。
それに気づいたとき、あなたの人生は静かに好転しはじめる。

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